ショートショート「喫茶店、時間、記憶」

深夜1時16分、冬。

毎シーズン、季節の移り変わりに対応し切れない。
 
寒暖差がスティグマの様に自律神経を痕を残し、「風邪」という文字が浮かび上がる。
 
寝床で90年代、10代の時によく聴いていた音楽を聴く。
 
get up kids、jimmy eat worldfeeder、ギターと感情、感情。
 
毎シーズン、感情は失われている。
 
徐々に崖を蝕む海水の侵食の様に。
 
人というよりも人型の鉄に近づきつつある。
 
時間という概念で表現できるのは過ぎ去った物事と未だ来ない事象だけだ。
 
現在について話せる事はそう多くない。
 
過去を伝えるには、ただなぞるだけでいい。
 
未来については無責任に空白を埋めるだけでいい。
 
今語ろうとしている事が過去であれ未来であれ今であれ、時間の座標が針の動きの様に正しく弧を描くとは限らない。
 
その事実は過去に起こった現在なのかもしれないし、未来に起こり得る過去なのかもしれない。
 
今でも13歳の子供が壁を叩いているのかもしれないし、死者が棺を引っ掻いているのかもしれない。
 
時間の正確な座標など誰も知り得ない。
 
だから何はともあれ、差し当たっての現在について語り始めてみる事だ。
 
差し当たっての現在について話し始めるには、まず目につく事柄をそのまま言語化してみる事だ。
 
ここは喫茶店で、私の前には男が2人、隣には1人。
 
四人掛けのテーブルに私を含めて4人が座っている。
 
晴れた春の日付の何処か。
 
店内にはギターと感情の音楽が有線で緩やかに流れている。
 
バンドについての話し合いの為に私達はカフェに居た。
 
「お前はロッキーを殺したいんだろう?」
 
と、私から見て右奥に座ったペンギンが言った。
 
分かっていた事だ。
 
 責任を負いたくない人間は必ず「こちらが」どうしたいのか、と2人称で会話を進める。
 
「俺たちはそういう状況にすっかりうんざりしている」
 
あるいは「我々」「私達」といった複数での主語を好んで使う。
 
「俺はこうしたい」から「お前はこうしたいんだろう」になり、最後には「私達はこう考えている」に変化する。
 
 
「息が詰まりそうだ、好き勝手させるもんか!俺のバンド、俺のバンド、俺のバンドなんだ!」
 
と、私から見て左奥に座ったロッキーが言った。
 
1人称の言葉は発言者の強い思いを感じさせる。
 
私の右隣に座っていたレイシスト・ピエロは黙っていた。
 
昨夜は私の味方をする、ロッキーの専横は見過ごせないと言っていた彼はただ黙っていた。
 
その言葉を信頼していた私は何も用意せずにこの席についてしまった。
 
つまり3対1が確定していた。
 
つまり勝算はなかった。
 
彼が与する様な事を言っていなければ、あるいは私が完全には彼を信頼していなければー
 
そうすればまた違う展開もあったかもしれない。
 
だが中高一緒で、親友だと思っていた彼を信頼しないという考えを私は持ち得なかった。
 
「好き勝手させるもんか!」
 
ロッキーが言った。
 
最終的にアルバム用に録音した私のパート、それら全てを使用する事は止めさせた。
 
会計を済ませた私達はエレベーターに乗った。
 
 1Fに着くまでは誰も声を発しなかった。
 
私達はTSUTAYAのある交差点で別れた。
 
それ以来彼らからの連絡はない。
 
でも毎シーズン感情は薄れているから。
 
昔あった事も薄れていく。
 
でも時に、それが今朝あったかの様に、鮮明な感情を伴って思い出される事がある。
 
そうした時、それがどの時間座標に位置する記憶なのかが不鮮明になり、それに対する向き合い方が分からなくなる。
 
「随分前の話だから前に進もう」、なのか「ごく最近の事なんだからもう一度対話すべきだ」なのか。
 
時間の流れ方はその時その場所その人によりけりだ。
 
時間の正確な座標など誰も知り得ない。
 
だから何はともあれ、差し当たって混線した現在について語り始めてみる事だ。
 
私はそう思う。