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三日坊主という程ではないけど、やる気や集中が長続きしないというのは年々そうなってる自覚がある。

だから長く続けたいことには他人や団体を介して自分一人だけの意思で終わらせられなくしたり、なるべくスケジュールみたいなのを可視化して時が来たらやらざるを得なくしたり、工夫を人一倍してきたと思う。

でもそれが本当によく分からなくなると、他人を介してたりスケジュールのここまでやらなきゃ無駄じゃないか、とかそういった足止めにしていたアレコレがストレスでしかなくなり結局良くない終わり方をした事象も少なからずあった。

1人だとやり抜けない、ひとかどのモノになれないと思うのは依存心の強さを表しているのだろうか。

帰属意識というものを持ちたがる一方で他人にアレコレ言われるのが嫌いなので、途中足抜けしたとしてもまた容易く戻ってこれる様な物事を1人で、たまに誰かと、という風に続けていくのが結局1番良いのだろう。

文章を書くのは誰でもできて、いつでも中断ができる故に他者と差別化を図る事がとても難しく、音楽は他者と共有するハードルが自分にとっては高すぎて手慰みにしかならない趣味だ。

一方で運動はやればやるだけ結果が出るので、優先的に行う様になった。

いずれも一生付き合える趣味で、かつ1人で出来て中断しようと誰の迷惑にもならない。

3日やって4日休んでが52回続けば1年続けられる。更に半分のペースでも問題ない。

自分の中にある他人に依存したい気持ちを分かっているからこそ、1人で続けられる物事が残ったのか、単に手軽さ故なのか。

禅でしかないのか。