ショートショート「ポール」

「この街は永遠です」
 
そう言ったのは私が勤める工場の守衛で、彼は朝晩出入り口にある詰所で来訪者のIDと荷物チェックを行う初老の男だった。
夜10時に赤外線通路を通って社員証を提示する度に彼はニヤリと口元だけで笑い、決まってその台詞を私に投げかける。
 
ダークグレーの名札が示す守衛の名前は「ポール」だ。
 
守衛の顔は私が工場で作っている人間タイプの顔とどこか似ている。
正式な型番はHUMAN-TYPE 62104-Paul。
この工場では第62世代ヒューマノイドのパーツを昔ながらのライン分業で作成している。
 
顔部門の前任者が慢性的精神疾患に伴い退職し、2ヶ月前に私が送り込まれた。
組織を巨大な古代生物と仮定すれば、所属する人間たちは替えの利くヒュージバクテリアに過ぎない、というのが弊社CEOの持論だ。
古代生物の体内でお互いを喰らい、考え付く限りの破壊と再生、つまり新陳代謝を繰り返すのが組織人という訳だ。
その輪廻を経る事で組織はより巨大な何かになっていく。
 
善悪という概念は最初から存在しない。
より大きくより早くより強く。
それこそ企業体が、ひいては国が背負う原罪だ。
罪を洗い清めると言ったって、どこに洗い流すに相応しい清浄な水がある?
どれもこれも泥で泥を濯ぎ済みの汚水ばかりだ。
 
私の職場ではフルタイムでガンジス河を流れる陀仏の如く、ラインの上を何百何千という同じ顔が流れていく。
2ヶ月前までの私は本部の建物で1日12時間、週60時間延々とデータ入力をしていた。
今の業務に日々の発見や目新しい事は何もない。
決まったタイミングで決まったボタンを押し、レバーを引く。
結局どんな仕事だろうと基本イメージは変わらない。
長く拘束されるか短くて済むか、ただそれだけだ。
 
夜勤シフトを終え、24時間営業のスーパーに入る。
夜勤明けの眠気を覚ますべくスーパーマッシブ・カウボーイ・コーヒーとベーグルを買い物かごに投げ込み、レジへ向かう。
 
「いらっしゃい」
 
この時間にいるレジ係はいつも同じ顔ぶれだ。
 
「いつも買ってくれるからな、これはサービスだ」
 
そう言って私にウインクすると、レジ係の青年はコーヒーカップの表面に50%オフのラベルを貼り付けてレジに通してくれた。
 
青年の顔立ちはアジア系・丸顔の上に細い目が乗り、つまりどことなく工場の守衛に似ている。
エプロンの胸元に付いているラミネートされた丸バッジには「ポール」と書かれている。
 
「良い1日を」
 
手渡された買い物袋を虚空に掲げて彼の笑顔に答えてみせる。
 
あくびをしながら駐車スペースに停めたビートルの運転席でコーヒーを口に入れて屋根を見上げる。
バックミラーに映る私の顔は、いつも通りの私だ。
疲れた目はレモンの濃縮液に1日中浸した様な調子だ。
私が今ここに居る必然性はない。
だが他にどんなやり方があったというのだろう?
マシな選択を選んだという確証はないが、運をキチッと使ってきたという気もしなくはない。
夜勤明けは決まって運転席で無駄な思考実験をしてしまう。
また自分自身を考えてしまった訳だ。
 
ベーグルを平らげ、コーヒーを胃に注いでもしばらく眠れそうにもないので、行きつけのダイニング・バーへと車を走らせた。
こんな時間でも飲ませてくれる店はこの辺に他にはない。
ポールズダイニング。
約束の場所。
 
迎えてくれた店主はいつものアルカイックスマイルを吊り目の丸顔の上に広げて海産物の通しを出してくれる。
店主の名前は店と同じく「ポール」だ。
 
「千葉リージョンから今朝取り寄せた1級酒だ」
 
店主が特別に出してくれた1升瓶から升に注がれる赤色の液体に映る私の顔はどこか半透明で、眉毛の下の眼窩が黒く塗りつぶされている。
結局店には小1時間ほど居て、その後は自宅に車を走らせて浅い睡眠をとった。
 
夢の中で私は何処かの街角に佇んでいて、その周囲を無数のポール達が囲んでいる。
何故だか彼らの嘲笑を皮膚で感じ、私の怒りが燃え上がる。
拳で彼らの顔面を打ち据えるごとに包囲網は十重二十重と厚く覆われていき、無限のポール達を前に私はいつ迄経ってもこの円環の中心から脱出する事ができない。
拳の皮が擦りむけ、やがて骨が露出し遂には両手共に再起不能となる。
私は円の中で立ち尽くし空を仰ぐ。
壊れた様に青い空を、ただ眺めている。
ポール達は無言無表情で私を360度全方位からただ見つめ、そこで全ての色が灰色に覆われ夢は終わる。
 
毛布の中でじっとりと汗をかき、自分の叫び声で覚醒する。
着たきりだった職場用のジャンプスーツがサウナの様に湿り気を帯びている。
ドアがノックされ、夢と現実の境目の希薄なまま、私はドアを開ける。
 
「大丈夫ですか」
 
ポールという名の隣人が隙間から心配そうな丸顔をのぞかせる。
 
「悪い夢、見たんですか」
 
大丈夫、心配ないよと私はポールに告げる。
隣人と駅前のポールズカフェで提供されるカウボーイ・コーヒー・デストロイについて2、3冗談を交わしてからドアを閉める。
それからトイレに行き、胃の内容物を空にした。
 
テレビを点けると403ニュース特派員のポール某が今朝方起きた飛行機事故の現場にいて、スタジオにいるアナウンサーのポール某に対し状況説明をしていて、私はすかさずテレビの電源をオフにする。
 
少し前から感じていた違和感が図らずも今朝の悪夢で明瞭になった気がしていた。
眉間を指で押しながら考える。
 
少し仕事のしすぎかもしれないな。
ラインをどこまでも流れていく同じ顔を見ている内に認知機能がおかしくなったのかもしれない。
 
少し休みを取る必要があるのかもしれない。
口をゆすぎ、服を着替えて外出する事にした。
 
ロビーにはドアマンのポールが居て、出入り口のガラス張りのドアを開けてくれる。
通りでタクシーを止めれば運転手の身分証にはポールと記載されていて、ただで私を送ってくれた。
 
本社のゲートに社員証を通して62階の総務まで直行した。
予め連絡を入れておいた総務部のポールが出迎えてくれる。
 
長期の休みが必要になったみたいだ。
そうか。有休が結構残っているし、いい機会だったんだろうな。
1ヶ月後にまた会おう。
 
ところで貴方は最近総務課に?
何を言っているんだ、君と同じ時期に異動してきたじゃないか。
君から送付された製造工場のライン改善案についても何度か書類をやり取りしているよ。
あれは評価に価する案だとポール部長も褒めてたな。
そうか。
ま、いいや。
 
再びタクシーを停めると運転手のライセンスにはポールと記載されている。
彼がさっきのタクシーと同一人物かは定かではないが、彼もやはり代金を取らなかった。
 
 
 
この調子で行けば実家の両親もポールという名前を持っている事になるだろう。
飛行機をハイジャックしてここから逃げよう。
搭乗エリア62、イーストノーザン行きの午後便だ。
搭乗券と見せかけた映画の半券をチラつかせて私は受付に向かう。
 
1ヶ月の休暇をランデブーポイントで過ごすんだ。
誰とランデブーするのかは些細な問題だ。
ポールの名を冠していない奴なら誰でもいい。
 
私が創造神ではないと感じさせてくれる場所なら何処でもいい。