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左親指の関節痛だ。

ボタンを押し過ぎたんだろう。

これから30年くらい生きて、残るものが何かを考えたい。

その間に仕事を続けていたら、端的に言えば貯金が残るだろう。

死までの期間、生きる事が何とかできるだけの金かは微妙だが、とにかく働いている間をやり過ごせてその後の期間寿命を欲張らなければ何とかなる位の金だと予測する。

もし文章を書いていたら、それらは自分が消さない限り後で読み返す事はできるだろう。

誰に見せる訳でもない空っぽの郵便箱に詰まった空気みたいな文字列が。

時に人生を語ったり、空想したり、物語めいた内容だったりと取り留めもない散文が100ダースくらい残るのではないか。

絵も同様。

格闘技はただの運動習慣で、世界と戦う為の手段でしかない。

音楽をやっていたら、これも消さない限り聴けるだろう。

もしかしたら出来た当時の事に思いを馳せたりできる程度の視聴に耐える内容になるかもしれない。

1年に1枚出せば30枚か。

それら30枚全部が成長の過程が全く感じられないゴミだったとしても、一応形でゴミみたいな30年を表せるのは何も残さないよりもほんの数ミリだけマシな事かもしれない。

人は残せるだろうか。

それは自分には関係がないと思いたい。

そうでないと自分次第になってしまい、30年後独りぼっちの自分を責めてしまうだろう。

自分を叱咤する事は辛い。

マシな人間になんてなれない事を先の30年で嫌という程知った後では、努力みたいなものが必ず報われると思うなんて、とてもできない。