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「思い出し笑い」ならぬ「思い出しフローチャート」を夜の布団の中で行う事がある。
だけど過去のある事象について現在の価値観で評価する事にどれだけ意味があるのだろう、と思う。
しかも主観で不確かな記憶に基づいて行うので、大抵は歪めて思い出しがちだ。
現在の自分から見て取り得る選択肢、正誤好悪・・・そこから学び取れる事は少なくて、でも始めたら時間がどんどん過ぎていく。
20歳時点から見た10歳時点の行動思考に対してあの時こうであれば、とイチャモンを付けるのは簡単だが、プラトンでもないのに10歳児が自分を律する事なんかできない。
30歳時点から20歳時点の行動に文句を付けるのも同様に不可能だ。
40歳から30歳はどうだろう、あまりその間に変化や成長がなければ何か有意義な話もできるのかもしれない。
どんな時も、きっとその時はそうせざるを得なかったのだ。
だから時間逆行しての批判や説教は自己評価を下げるだけの無駄な行為で、多分すべきなのは程よくそのページを読んだら日記を閉じて、その内容が面白ければ自分を褒めて、後はまた読み返したくなるまで触れない事なのかもしれない。
50歳→40歳、60歳→50歳は恐らく金と身体の事だけしかフローチャートしなくなるはずだから、そこまで生きていればもう自己改善に潰されそうになったり、あるいは悩まなくなるのではないか。まさに不惑になっている筈だ。
不惑になれば電流的閉回路思考を持てるのだろうか。
回路網の様に電流が分岐してあちこち回るのではなく、閉じたスイッチに沿って1本の道を電流が流れる閉じた輪。
なってみないと分からないな・・・
ま、とにかく時間逆行が始まり何かしら自分に言いたくなったら、各事象を批判する事なく褒め、それでも納得が無ければ最後に「悩まなくなる瞬間まで禅を続けてみればいい」とだけ付け足せばいい。
そう思う今日この頃です。