ショートショート「夏と河川敷」

ボールが飛んでいく。

野球帽の少年がそれを追いかける。
河川敷の一区画を白線と金網で区切った野球場。
公道と河原を隔てる坂の中腹で、今日も私は独り寝転び、半分だけ開けた目で草野球を眺めている。
3年前は私もあの子供達の様に喜んで駆けていたというのに、今は歩く事さえ億劫なのだ。

目を上げて空を眺めると、網膜に直接侵入した太陽光が視界に黒点を穿ち、見えなくなったその一部分からあの光景が広がっていく。
中学2年の夏の光景。
いつものフラッシュバックだ。

私は陸上部に所属していた。
当時の私は有望な中距離走の選手で、その日も自主練として家から大通り、そして神社というルートを走っていた。
自分に課した練習メニューは厳しく、当時の私がインターバルに対して持つ意識は希薄で、かつ39度の真夏日が続いていた。

神社に通じる急な階段を駆け上り、呼吸を整える。
ふわりと気持ちの良い風が肌とジャージの間を通り抜ける。
熱を帯びた脹脛がそっと緩和される心地よさを感じた後、身体がゆっくりと斜めに傾いだ所までは憶えている。
 
ブラックアウトー
気づくと私は石段の下で倒れていた。
 
 
もうかつての様に駆ける事はできなかった。
松葉杖をつきながら、仲間の声も自分の声すらも届かない、深くぼんやりとした場所にいる日々が1年続いた。

悔しい、悲しいというよりは何かほっとした心持ちで、ここまで築いてきたしがらみをようやく絶てた様で、私は走る事を失ったが代わりに静かな気持ちを得た。

走る事が大好きだった。
部活動、仲間達に不満などなかった。
 
ただ、こうなったらどうしよう、こうなってしまったらもうおしまいなのではないのか、と頭の隅で危惧していた事が叶ったのだ。
 
これ以上の悪い事はもう起こらないだろう。
備える事のなくなった私の心は緩和され、それを認識する事で不思議と安らいだ。
 
目を閉じて、瞼の表面で太陽を受け止める。
赤と黄の圧が黒点を打ち消していく。
少し後に目を開けると、黒点は何処かに行ってしまい、見える世界は少し青みがかっている。

ランニングシャツを着たきりの、身体の細い少年がホームランを打った。
その打球はフェンスを越えてどこまでも伸びていく。

私の不安は叶ってしまった。
それは中学の夏の事だった。