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小さい過去がモチベーションになり、大きい過去が足枷となると思っている。

 

大きい過去とは、具体的な成功体験もしくは失敗体験。

受験・結婚・就職の様な、生活に影響の大きい物事に係る過去の事象だ。

 

十分な仕事に就き収入を得て、支える人間がいればそれ以上の職を求める事はない。

あるコミュニティに加入する事ができて、それに満足していればそれ以上の居場所を求める事もない。

成功を頭の中で反芻し追体験し続ける限りは、それ以上の成功は必要なくなる。

 

逆に努力の結果何も得る事ができなかったとして、それを反芻し続ける限りは打ちひしがれ、一歩も進めない。

 

だから、どちらも現在何故何かをするという事の動機付けには役立たないと思う。

 

小さい過去とは、ほんの一瞬脳裏を掠める景色だとか表情とか、まあGIFファイルみたいなアレだ。

 

子供時代の庭とか、いつか見た誰かの笑顔とか、水道管の表面のささくれとか、雨が浮かせる埃の混じった道路の匂いとか、そういうもの。

 

どこにも繋がらないシナプスの様な、それ自体のみでは意味を為さない細部。

そういった名前のつけようがない既知かつ未知の素描である記憶に、何かを底上げしてもらっている気がする。

意味あるものに本来意味はないので、意味のないものに意味を感じるのかもしれない。

 

今日も禅だったという訳。