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視線と言葉が神経に火をつけると聞いた。

普段の生活において視線・言葉・服で体裁を整えている節も確かにある。

 

それらに守られていて分かりにくいのだが、意外と大人らしい大人は少ない。

50過ぎて小学生の様なスペシアルは多いし、逆に10代でスマートな頭脳の持ち主も少なくない。

 

人生経験でカヴァーできるのは、頭を使った領域分に限られる。

惰性でボタンを押した回数の多寡が活きるケースなど稀だし、そのボタン作業自体も何年と繰り返すべきものではなく数ヶ月で習熟の頭打ちが来る場合が多い。

 

あとは年齢を重ねたというはったりが利く様になる位だろうか。

これは意外と重要な事だが、内容の薄さを見抜かれると途端に軽蔑の対象へと堕ちる事になる。

 

だから年齢を経るにつれて視線・言葉・服で体裁を整える事に意味が出てくる。

はったりを補強する事に戦略的価値がある。

 

人は他人の事を目分量でしか計る事ができない。

だからこそだ。

 

内外の差を埋める努力は後ですればいい。